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竜也は球種を絞った
間違いなくシュートで来る、といつもより強めに踏み込むと案に違わず投じられたのは伝家の宝刀シュート

2ボールからだったので、ほんの少しだけ置きに来た感があったそれを竜也は強引に引っ張る
“長打はない”と決めつけがあった相手守備陣をあざ笑うかのように運んだそれは、ライトの頭を大きく超えて行った

賢人が手を叩きながら歩いてまず生還、そして1塁から浩臣も長駆生還
竜也も悠々スタンディングで3塁へ到達すると、いつものように右拳を高々と掲げてみせた

「ったく、タチ悪いやつだな。よりによって引っ張るかあれを」
ベンチに戻った浩臣は笑いつつそう呟く横で、祐里はほっとしたように胸を撫で下ろしている

「とはいえ、相手の心折れただろこれ。自慢のシュートを完璧に捉えられたんだからな」
浩臣の思惑通り、相手はもうシュートを放れなくなっていた
外一辺倒になった投手では、勢いづいた西陵打線を抑えることは不可能

京介、岡田、千原の3連打から男樋口の3ランでトドメ
8-1となり試合は大勢を決していた

打席に入れないので賢人に代わって天満が“初打席”を飾る余裕まで見せる
普段は3塁ベースコーチを務めているので、わざわざ冬井と交代して打席に入れる粋な計らい
裏の相手の攻撃は浩臣は2安打を許すも後続を締め、西陵高校は無事決勝進出を果たした

「最後三振なら派手にガッツポーズしてやるつもりだったのに」
ベンチに戻ったあと、浩臣はそう言って大きく息を吐いている
一口ポカリを飲むと、また大きく息を吐いた

あくまで平静を装っているが、だいぶ疲れてそうだなと竜也は内心感じている
明日は休みだが、それでどこまで回復できるかというところだろう

「さて、帰るか。また監督に怒られるな」

もうほとんどの選手は帰り支度を済ませてベンチ裏へ戻っている
のんびり座っているのは浩臣と竜也。そしてもう一人

「伊藤くん、そして竜お疲れ。寿命縮まるよホントに」
ずっと祈るような感じで見ていたのだろう、祐里は(両手の)手汗が酷いわーと言って満面の笑み

「放送席、放送席。今日のヒーローは満塁の大ピンチを凌いでチームに勢いをつけた伊藤投手です」
竜也がそう茶化すと、浩臣はすぐに被りを振る

「よく言うわ。先制点も決勝点も自分で打ったくせに」
浩臣がそう呟いたのを聞いて、すかさず祐里がどこからか小さな棒状のものを取り出すとそれを竜也に向ける

「今日は2人がヒーローでしょ。私がインタビューしてあげる」
ノリノリで祐里がそう言うと同時、いつものようにベンチ裏から早くしないと置いていくぞと声がかかる
それが渡島の声で、冗談を言っているトーンではないと感じたので3人はそれぞれ笑みを浮かべつつ帰り支度を再開

「あと1勝。伊藤くん、頼むわ」
竜也がそう声をかけると、浩臣は小さく首を振る

「俺一人じゃ無理だし。つか先発久友ちゃんだろ」
言って、早くも荷物を仕舞い終えたようで先に行ってるぞーとの声

残されたのは竜也と祐里
とはいえ、祐里はとっくにいつでもスタンバイOK状態で竜也の終わるのを待っているだけ

「何で俺が一番最後になるんだろうな」
自嘲しつつも、相変わらずのんびりとした様子の竜也に祐里はただ微笑んでいる
それ貸してと、いつものようにバッティンググローブを受け取るとまた目を細めている

「勝利を誘う 晴れ舞台 ラララ 漲る闘志を ぶつけろ竜也」
口ずさみつつ、なぜか祐里は少し涙目になっていた

「おい、どうした」
ようやく片付け終えた竜也だったが、祐里の異変に気付いて驚いた様子
さすがにTranquilo.じゃいられなくなっていたが、祐里はすぐに何でもないからねと言って小さく首を振った

「頑張ってるなって。私がちょっと言っただけなのに、こんなに真剣にやってくれて。もうすぐ夢が叶うのかって思ったらちょっとね」
思わず感無量になったというところなのだろう
困ったなという感じで竜也が思わず頭を掻いていると、祐里はやがていつもの笑顔を取り戻している

「さすがに泣き顔で戻ったら怪しまれるよね」
祐里があははと笑いながらそう言うと、目を何度か擦って誤魔化している

「じゃ行こっか。置いてかれるよ」
祐里が促し、2人は慌てた感じでベンチを後にする

外へ出ると今日は美緒と未悠の姿は見当たらず、どこか寂しそうな竜也だったが別の人影に気づいた祐里が指差して笑っている

「ほら、ファンサしないと。可愛い子が2人も待ってるよ」
そこには光と渚が2人並んで紙を持って、今や遅しと竜也の到着を待っていた様子

「僕がサインしようか?」
そう呼びかける安理を完全にスルーし、竜也の姿に気づいた瞬間手を振る2人
ほら、早く行きなさいと祐里が後押ししたので、竜也は照れ臭そうにその場へ到着

「じゃあ私先行ってるね」
気を利かせたのか、祐里はバスへ乗り込もうとしている
例によって浩臣はまたプレゼントをたくさん貰っているのが目に入り、竜也は思わず苦笑していると光が竜ちゃん!と振りむかせてきた

「待ってたんだから。早くサインちょうだい」
光の持っていた紙を受け取ろうとした竜也だったが、どうも先日の美緒と未悠の持っていたそれと同じ紙に思えて仕方なかった
一瞬受け取るのを躊躇した瞬間、バスへ向かっていたはずの祐里がすっと現れると、完全に感情を消した顔で光と渚の持っていた紙(案の定婚姻届でした)を受け取ると、一瞬にして灰にしてしまっている

呆気に取られている2人と竜也を尻目に、無表情のまま祐里はカバンからまた別の紙を取り出すと光と渚に手渡した
そして祐里はいつの間にかあっという間にバスの車上の人へ
何だかよくわからない超常現象を見た気分だったが、竜也はとりあえず気を取り直して相対する

「って、なんだよこれ」
思わず竜也が噴き出すそれ、祐里が光と渚に渡していったのはCDとかに使われそうなジャケットだった
竜也と浩臣、そしてなぜか酒井が3人横並びで座っている姿が印刷されていて、“世界が終るまでは(新録)”と大書されている

「凄いな。杉浦は歌手デビューしてたんだ」
あははと笑いながら渚は手を叩いてウケていて、早くサインしてとまさかの催促

悪い夢でも見てる気分になった竜也だったが、サインなど生まれてこの方宅配便以外にしたことがないのが現実
しかし渚、そして我に返った光からの催促攻勢が凄まじかったので“Tranquilo.” “INGOBERNABLES”と書いてからRYUを無駄にカッコよく崩した感じでの人生初サイン(2枚書きました)

「あと1勝。明後日、絶対勝ってよ?」
光にそう呼びかけられると、竜也はいつものポーカーフェイスで相対した

「俺に言うな!(2・1札幌事変 猪木問答ism)」
そうぶちかました直後、光は見たことのない冷淡な表情に変わる

「ならもう私もあなたとは関係ない。二度と口を聞かないでね」
聞いたことのない強い口調のそれに竜也が驚くと同時、光のスマホに着信が届いている
このタイミングで何? と呟きつつ、光がそれを開くと思わず失笑してしまっていた

目が泳いでいる竜也に対し、光は静かにその画面を見せてくれた

「光は怒っているの?」

バスの中にいるのに、どう見ても今のこのやり取りを見てるとは思えない祐里からのLineだった
光はいつもの様子に戻り、せっかくキレた振りして竜ちゃん脅かしてあげたのになーと愚痴っている

「あと1勝なんだから。大丈夫だよね?」
やり取りを傍観して笑みを絶やさなかった渚にそう言われ、竜也は小さく頷いてみせる

「我々西陵高校野球部が応援して下さる皆様に、新たな景色をこれからお見せしたいと思います。新たな景色とは、一体どんな景色か。その答えは、もちろん...」

竜也はそう言って、いつものニヤリという笑みと共に得意の見開きポーズを決めると、右拳をさっと挙げてバスに乗り込んでいった